若者はホントにバカか アメリカで大論争!!

若者はホントにバカか
マーク・バウアーライン 著

畔上 司 著

町山智浩 著

  • 書籍:定価1650円(本体1,500円)
  • 四六判・並製/238ページ <![CDATA[
  • ISBN978-4-484-09114-3
  • 2009.10 <![CDATA[発行

えっ!ローマ法王はイギリスのパリに住んでいる!?国を憂う大学教授がさまざまな統計数字を示してアメリカU-30世代のあまりの無知ぶりを警告!

書籍

Amazon 7net 楽天BOOKS

内容

日本は第二次大戦の同盟国? キューバ危機って何だっけ?
デジタル時代に突入し、ネットやCNNなど情報源・学習ツールはかつてなく充実しているのに、若者の知的水準は目を覆うばかり。30歳以上の人間はこの実情を憂えて早急に対処しないと、将来のアメリカ人はあまりのバカさゆえ国力は衰え、民主主義も危機を迎えると主張。昨年刊行時アメリカで大論争を引き起こした超問題作。

「若者たちは、歴史と公民をほとんど知らない。本は1冊も読まず、博物館には1回も行かないが、そうしたことを恥とは思わない。これが、ごくありふれた状態になりつつある。そうした恥知らずたちが、わが国の将来を担う人たちなのだ。」―――マーク・バウアーライン

「筆者が本書で最も印象に残ったのは、成績が低い者ほど自己評価が高いというデータだ。アメリカではやたらセルフ・エスティーム(自己評価)という言葉が使われる。それが低いと非行や犯罪の原因になり、高いと自信や努力へとつながると言われる。だから、オバマじゃないが、やたらYes, You Can(大丈夫、あなたならできる)と励ますことが奨励されてきた。しかし、それが若者たちに無根拠な自信を持たせてしまったのだ。僕は素晴らしい。ならば勉強する必要なんかないよ。
まったく同じことが、「矛盾」という漢字も書けない現代の日本の若者について神戸女学院の内田樹教授が考察したベストセラー『下流志向』に書かれている。勉強ができない子ほど自分に自信がある。それは「学校で勉強ができることは人間の価値と関係ない」と大人が言ってしまったせいなのだと。」――――町山智浩・本書解説「ミレニアルは本当にバカなのか」より

まえがき(抜粋)

○低下する若者の知的状況
本書は、最良にして広範な調査をとりまとめ、アメリカの若者たちの実情について今までと異なる見方を提示しようとするものである。若者たちの態度や価値観をテーマとするものではなく、30歳未満の人たちの知力だけをテーマにするつもりだ。彼らの政治的傾向やキャリア志向を重視することもない。「若者のマナー、音楽、服装、話し方、セックス、信仰、鬱、犯罪、麻薬服用、道徳観、セレブ」を焦点とするたくさんの本や記事、調査報告、そして販売戦略は、ジェネレーションY(別名ジェネレーション・ドットネット)にターゲットを定めているが、本書はそれらと同類ではない。こだわっている事柄はただ1つ、アメリカの若者の知的状況である。それを実証的証拠を用いて描こうというのだ。立証困難だが若者の頭のなかで知らず知らず起こっている事柄を記録しようと思っている。情報は散在しているが、ひとたびそれらを集めて比較検討すれば、確実に下降線をたどっている1つの危険な流れが見えてくる。
こう言うといかにも悲観的に聞こえるので、若者に共感する多くの人たちは本書の各章を「小言の反復」と見なすかもしれない。「がんこな老人」はいつの時代でも若者の無責任ぶりに文句をつけるし、というわけだ。しかし、おそらく年輩者が若者を非難するのは、人生において正常な一過程だろう。なぜなら、若者と老人が積極的に競争して反論しあい、若者の楽観主義が老人の知恵および現実主義と張りあうことで、互いに相手の最悪の傾向をチェックでき、その結果、豊かな実りが生じるからである。だがこれは今論じるべき問題ではない。
本書のさまざまな結論は、過去および現在進行中の各種調査、それに公私の組織および大学教授、メディアセンターが作成した資料に基づくものである。そうした調査は互いに異なる価値観を示しているし、若者に対して互いに異なる態度を示しているのだが、驚くべきことに全般的な結論が一致している場合が非常に多いのだ。これらの調査は若者たちの多くの傾向をくっきりと見せているが、しかし知性に関しては繰り返し同じ傾向しか示していない。それは逆説的で、気の滅入るような状況である。
今、逆説的と言ったのは次のような意味だと言っていいだろう。私たちは情報化時代に入り、情報の高速道を走り、知識経済を生みだし、デジタル革命を経験し、肉体労働者を知識労働者に変換し、創造的な階層を奨励し、「コンセプトの時代」(芸術家など創造力に富んだ人たちの時代)の到来を期待している。ネットマガジンからアル・ゴアまでが、そしてトーマス・フリードマン(『フラット化する世界』の著者)から「アメリカのイノベーションの未来」タスクフォースまでが、その変化に賛意を示している。
またブッシュ大統領(当時)は、06年2月に米国競争力イニシアティブを発表して、アメリカ経済の運命を「新テクノロジーを開発する基盤となる知識と手段を生みだす力」と直接リンクさせた。
そして、ビル・ゲイツはワシントン・ポスト紙でこう主張した。「わが国が競争力を維持するためには、世界屈指の聡明な知性を持った労働力が必要だ……。そのためには第一に、強力な学校がなければならない。それがあってこそ、若いアメリカ人は数学、理科を知り、問題解決能力を備えた労働力になるのだ。そうした能力こそ、若者たちが知識経済で成功を収めるのに必要なものなのだ」
だが、若者たちがほかの年齢層と違ってデジタル・ツールを日常生活に取り入れたにもかかわらず、そしてまた、入手可能な知識と情報も多く、受けた授業も多く、自分の町にある利用可能な図書館や書店、博物館も多いという環境のなかで育ってきたにもかかわらず……、要するに、若者たちは知識を獲得し、読み書き能力を進歩させるチャンスに並はずれて恵まれていたにもかかわらず、そしてもちろん知識を獲得すれば経済的にも豊かになるというインセンティブもふんだんに与えられていたにもかかわらず、今の若いアメリカ人は、先輩たちより博学でもなければ技能に恵まれているわけでもなく、聡明でもなければ、言葉が流暢でもなく、研究好きでもない。若者文化に詳しいだけだ。彼らは歴史(アメリカ史)や公民、経済や理科、文学や時事問題について先輩たちより物知りではない。本も新聞も、進んで読もうとはしない。若者たちのほうがきれいな文章を書くと主張する英語学の大学教官はめったにいないだろう。実際、彼らの能力は標準よりかなり下である。とりわけ、調査研究をおこなう能力や、職場での仕事への適応力についてはそう言える。

○若者の心はどこに向かうのか
現代は、過去に例を見ないほど事実や出来事、芸術や理念にアクセス可能な時代だが、アメリカの若者の心はそうしたものに開かれることがなかったのだ。たしかにアメリカの若者の欠点が減少したことは認めねばならない。若者が抱いている固定観念や偏見は少なくなった。また今の若者は、25年前に比べ親を尊敬するようにもなっている。若者は多数がボランティアに参加している。それに、危険な行為を冒す率も下がっている。行動全般も改善されてきている。ジェイムズ・グラスマン(米国の元国務次官)は「グッドニューズだ! 子供たちに問題はない!」と明言したし、若者をウォッチしているウィリアム・ストラウスとニール・ホウは、若いアメリカ人に関する共著に「次の偉大なアメリカ人」というサブタイトルを自信を持ってつけた(2000年)。
そういうサブタイトルをつけてはいけない理由があっただろうか? 若者は多数の集まりに参加したし、物欲もあったが知的でもあった。21世紀のアメリカの若者はお金と品物にふんだんに恵まれ、自由と楽しいセルフイメージ(自己像)に、そして市民同士の活発な討議に、また政治的なブログに、さらにはオンラインで入手できる古書と各種の傑作にひたり、展覧会をはしごし、ヒストリーチャンネル(歴史エンターテインメントの専門チャンネル)を見た。各種の情報が入ってきていた。教育、学習、政治行動、そして文化活動をおこなう機会が今ほど多いことはかつて一度もなかった。事情通の知的市民を育てる必要条件はすべて整っていたのだ。  だがそういう市民には育たなかった。たしかに若いアメリカ人はエネルギッシュで野心があり、進取の気性に富み、善良ではあるが、彼らの才能、関心、そしてお金が、本や理念、歴史や公民に向かうことはなく、ほかのあらゆる分野、ほかの意識へと向かっているのだ。彼らのなかには、それとは異なる社会生活、異なる精神生活が形成されてしまったのである。それを繁殖させたのはテクノロジーだったが、今までうんざりするほど何度も宣伝された「デジタルの力」、グローバルな意識、バーチャル・コミュニティ(ネットワーク上の社会)とは違う状況になってしまった。
若いアメリカ人の心は、豊かな文明と科学、政治に向かって開かれていない。テクノロジーのおかげで彼ら若者たちの視線は自分自身に向いてしまっている。自分の周囲のシーンにだけ向いているのだ。若者がこれほど若者同士のことだけに熱中した時代はかつて一度もなかった。ティーンの心理と歌、最新のゴシップとゲーム、それに若者同士のコミュニケーションはもはや時空を超越し、この世代を取りまいている。自分たちだけの世界に没頭すれば、それなりの犠牲も生じる。若者たちは、互いのことに注目すればするほど、過去のことを忘れるようになり、将来の設計図を描くことが少なくなった。彼らは現代性と民主主義という強みを持っていながら、知的労働に向かうことはない。若者たちの知力は18歳で頭打ちになる。こうした現象が、私たちの周囲のいたるところで起きているのだ。知識の泉はどこにでもあるのだが、若い世代は砂漠でキャンプしている。物語や絵画には見向きもせず、仲間が関心を抱いていることにだけ興奮している。そして、現在の私たちの礎になった文化的・市民的遺産を拒絶している。
本書は、こうした状況が米国市民の健全な繁栄にとって何を意味するか、それを説明するつもりである。

目次

はじめに
成績至上主義の壮絶な競争/実態は驚くほど少ない勉強時間/低下する若者の知的状況/若者の心はどこへ向かうのか

第1章 若者の大半が知識不足
教皇はイギリスのパリにいる!?/無知と無関心/豊かな時代の貧困な知識水準/病根は余暇時間にある

第2章 新種の書籍恐怖症
本を読むことに対する侮蔑/本から遠く離れて娯楽の荒波に/デジタル・テクノロジーは知性を鍛えるか

第3章 ディスプレイ・タイム──駆逐される読書習慣
子供部屋は「マルチメディアセンター」/デジタル習慣が脳内に入りこんでいる/IQの数値が上昇/知識は脳ではなくディスプレイ上で/ウェブは成長したが頭脳は失速した

第4章 オンライン学習と「学習しない習慣」
学校のデジタル化/書き言葉が言語知能を向上させる/画一化される若者の語法と思考/成熟への扉を閉ざす

第5章 教師・指導者の背信行為
生き方の追求、そして苦難の道/学生を甘やかす教官たち/ナルシシズムの傾向が高まる若者たち

第6章 知識は民主主義を推進する
民主主義には、監視の目を持つ市民が必要/若者の無知・無関心に警鐘を

ミレニアルは本当にバカなのか──町山智浩

著者

マーク・バウアーライン(Mark Bauerlein)
エモリー大学英語学教授。カリフォルニア大学で英語学博士号を取得。2003~05年、全国芸術基金(芸術活動を財政支援するための連邦政府機関)で研究・分析部門担当の理事。著書に『文学批判』『実践的な心』など。ウォール・ストリート・ジャーナル紙、ワシントン・ポスト紙などに寄稿。アトランタ在住。

●装丁/轡田昭彦・坪井朋子
●編集協力/編集室カナール(片桐克博)

Twitter