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フジ子・ヘミング 我が心のパリ
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フジ子・ヘミング 我が心のパリ

フジ子・ヘミング 我が心のパリ

パリは大切な初恋の人。 いっぱい涙がつまっている。 魂のピアニストが語る、「私の部屋」とパリの思い出。 大好評「運命の力」に続くシリーズ第二弾!!

  • 書籍:定価1980円(本体1,800円)
  • 2005.02発行
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内容

みんな、
幸せを求め生きている。
私もそう。
もう一本タバコを吸ったら
今日も、 このパリの空の下で
自分の旅を続けるわ。

目次

1 モンマルトル
1 ようこそ私の部屋へ
2 絵を描く
3 ピアノ
4 ユトリロの町

2 カフェには人生がある

3 セーヌ
1 サン・ルイ島の部屋
2 サン・ルイ島の大事なもの
3 サン・ルイ島散策
4 私の散歩道・橋を渡り、ノートルダム大聖堂へ

4 大好きなパリ
1 大道芸人
2 アール・ヌーボー
3 犬と猫
4 ショパンとジョルジュ・サンド
5 蚤の市、そして――

5 旅、そして終着駅 パリ北駅

さいごに

著者

フジ子・ヘミング(Ingrid Fujiko v. Georgii-Hemming)
東京音楽学校(現・東京芸術大学)出身のピアニスト大月投網子と、ロシア系スウェーデン人美術デザイナー フリッツ・ジョスタ・ゲオルギー・ヘミングを両親としてベルリンに生まれる。
5歳の時に、一家で日本に帰国。母の手ほどきでピアノを始め、10歳でレオニード・クロイツァーに師事。青山学院高等部在学中の17歳の時コンサートデビューを果たす。18歳でスウェーデン国籍を失い、無国籍となる。
東京芸術大学を経て、NHK毎日コンクール音楽賞入賞、文化放送音楽賞等を受賞。渡辺暁雄指揮による日本フィル等と共演、来日中のサムソン・フランソワに絶賛される。東京芸術大学卒業後ヨーロッパ留学を夢みるが、国籍の問題でかなわず、29歳で難民としてドイツに渡航。ベルリン国立音楽大学に留学。
ベルリン国立音楽大学卒業後、ウィーンでパウル・バドゥーラ・スコダ氏に師事し、今世紀最大の作曲家・指揮者の一人と言われるブルーノ・マデルナのソリストとして契約する。
1969年、レナード・バーンスタインはじめ、ニキータ・マガロフ、シューラ・チェルカスキー、ブルーノ・マデルナの推薦によって、ウィーンでのリサイタルが決定。しかし、リサイタル直前に風邪をこじらせて耳が聞こえなくなり、この時、すべてのコンサートをキャンセルした。
その後、ストックホルムにおいて耳の治療に専念。現在でも右耳の聴力は失ったままで、左耳は聴力が完全な時の40%に回復した。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得、以降、ヨーロッパの各地でピアノ教師をしながら演奏活動を行う。
母の死後、1996年に日本に帰国。1999年のNHKのドキュメント番組をきっかけに再び注目を集め、デビューCD『奇蹟のカンパネルラ』は、クラシック界では異例の50万枚を超える売り上げとなる。

写真

マルコ・ベルトーリ(Marco Bertoli)
イタリアはピエモンテ州ノヴァラ生まれのカメラマン。料理写真はもとよりモードなどの分野でも広く活躍。自身も料理好きで、ミラノの自宅キッチンは何度もインテリア雑誌に載ったほど。今回の取材では卓越したドライビングテクニックを駆使して、イタリア全土を駆け巡った。

●デザイン/熊澤正人/松本良子(パワーハウス)