フジコ・ヘミング 永遠の今
- 文芸・エッセイ
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人生は苦しいときのほうが多い。
自分の中にある幸せをみつけていけば
生きやすくなるんじゃないかしら。
無国籍者として貧困と孤独の半生の後、60歳代後半で再び世界に見出されて以来、今なお世界各国で演奏活動を続けているフジコ・ヘミング。
その精神を支えているものは何か。高齢を迎えた現在もひとり暮らしを続け、日常生活のなかにも独自の世界をもちながら(インテリア、ビーズ、刺繍、ファッション、イラストetc.)「今」を生きる――
日常をこよなく愛する孤高のピアニストが
「今」を語り下ろした珠玉の言葉たち。
撮りおろし写真50点以上、本人筆のイラストも収録。
- 書籍:定価2420円(本体2200円)
- 電子書籍:定価1936円(本体1760円)
- 2022.03.31発行
目次
Ⅰ あんなこと こんなこと
ドキドキ
紅茶の思い出
甘口のお酒
ベジタリアン
じゃがいものスープ
いつも三人で三等分
水曜日のチョコレートボンボン
ルーマニアのグラス
カットフルプルファー
歌う犬
船に乗って
車と自転車
私の生きがい
学校をさぼって
小さなノートには
遠い思い出
Ⅱ 自分らしくあるために
10年かけて
自分らしく住む
家も作品のひとつ
不思議な体験
思い出のクリスマス
いろんなところに住む
下北沢のお家
ストーリーのある物
カリスマ性
ステージ衣装
バスに乗って
リメークのたのしみ
針と糸で
金賞の札
道具のこだわり
私の宝物(鳥のおもちゃ/扇子/ピアノ演奏会のプログラム/バーンスタインからの手紙/捨てられないもの)
私のおしゃれアイテム(ブレスレット/髪飾り/レース/バッグ/携帯電話/マスク/マリリン・モンロー)
オリジナル
本物が見たい
煙草
Ⅲ いつもピアノとともに
ブリュートナーのピアノ
ピアノの先生
まわり道
暗譜
『ラ・カンパネラ』
雨に濡れるチューリップ
何度も何度も
練習
ショパンに恋して
音の響き
家族のこと(母と娘の関係/母のこと/父のこと/新しいお父さんは、ごめんだ/弟のこと)
夢
Ⅳ 人生は素晴らしいけど、ラクなものじゃない
それが愛
告白
結婚とは
恋をするって
自分ひとりなら
初恋のはなし
孤独について
微妙な価値観
一晩中歩いて
悪い行い
小さきものたち
殺すなかれ
聖書のことば
神様は、神様だから
大事なことは
人間の立派さとは
空想の世界
信仰の力
誰も知らない街で
心の支え
心ひとつで
本文より
リメークのたのしみ
下北沢には古着屋が多くて、散歩していてたのしい街だわ。人も個性的な人が多いし。日本人はおしゃれよ。だいたい古い毛玉のついたセーターなんか着ないでしょ。むこう(海外)の人は何度も洗ってブツブツが出たような、半分はげたようなものを平気で着ていたりするから。
パリにも古着の店がたくさんあるわ。私の住むアパートメントの下には有名ブランドの高級店があって、そういう店は客なんか入っていなくていつもガラガラ。私も入ってみたことがあるけど、その有名デザイナーがデザインしたというだけで、小さなマフラーなんかでも20万円くらいする。私が上の階に住んでいるのを知っているから、何も買わずに出たらはずかしいと思って買ったけど、あっという間に虫が喰ってボロボロ。虫はその価値を知っているのよ。20万円か、2千円かをね。
そこへいくとパリの古着屋は人でごった返していて、いつもにぎやかよ。キロいくらという量り売りで、みんな大きな袋を抱えて店から出てくる。私も古着屋でずいぶん買った。外にぶら下がっているものなんかもね。ときどきすごくいいものも混じっていたりするからたのしいの。
私の場合、そのままでは着ずに、なにかしら手を加えてアレンジするから。袖まわりが窮屈だと別の生地を足してみたり、ポイントでポケットをつけてみたり、刺繍をしたり。いま着ている新品の藍のシャツもリメークしてあって、スカートは男物のショールだったのを仕立てた。ベルリンでこれをみつけて、風合いが素敵だなと思ったら手織りというから道理でと。いまも直したい洋服が箱にいっぱい。だけど、そのための時間がなかなかとれなくて。私はみんなと同じ格好をするのは嫌だから。
私が洋服をリメークしたり、刺繍したりするのは、母親譲りなのかもね。むかしはいまのように既製服は売ってなくて、自分で作るしかなかった。母は裁縫が得意とはいえなかったけど、夜なべして私と弟の服をいつも縫ってくれて。違う生地でポケットをつけたり、ボタンやビーズをつけたり、いろいろ工夫して。水着なんかも作ってくれたわ。古い服をちょんと切って、縫い合わせただけのものだったけど、とてもハイカラでおしゃれだった。ピアノを教わっていたクロイツァーにも、よく着ている洋服をほめられたわ。
だから私もごく自然に、小さい頃から人形の服を縫ったり、肩掛けのバッグを作ったりしていたから、リメークするのは特別なこととは思っていないの。
大事なことは
私が聖書を読みだしたのは学生の頃で、うつ病みたいになっちゃったの。太平洋戦争があったでしょ。飼っていた犬と猫を死なせてしまって、兵隊さんに初恋をしたのもその頃。名前もわからず、それっきり。大好きだった祖母も逝ってしまって、いろいろなことが重なり、ものすごく気持ちが落ち込んだ。聖書には理不尽とも思えるようなことも書いてあるけど、それを考えながら読んでいくの。年をとるとその感じ方も変わっていくし。
台風や洪水、地震といった避けられない天災や、コロナ禍で仕事を失ったり、くじけそうになる人もいると思うの。私はあの悲惨な戦争を体験してきたから、それとコロナ禍を比べて考えれば、ぜんぜん平気よ。演奏会がすべて中止になったことは悲しかったけど、家の中で穏やかに過ごすことができた。
生きていれば、予期しないことが突然起こる。その予期しないことが起こったときに、自分はどうやって生きていくか、それが大事なことではないかしら。
著者略歴
フジコ・ヘミング(Georgii‐Hemming Ingrid Fuzjko)
本名、ゲオルギー・ヘミング・イングリット・フジコ。スウェーデン人の父と日本人の母のもと、ベルリンに生まれる。5歳でピアノを始め、10歳でレオニード・クロイツァーに師事。東京芸大卒業後、28歳でベルリン音楽学校に留学、ウィーンではパウル・バドゥラ=スコダに師事。レナード・バーンスタインやブルーノ・マデルナに才能を認められるが、聴力を失うアクシデントに遭遇。日本に帰国後の1999年、NHK『フジコ あるピアニストの軌跡』で大反響を呼び、デビューCD『奇蹟のカンパネラ』が200万枚を超える大ヒット。2001年にはニューヨーク・カーネギーホールでコンサートを開催。以降、世界で演奏活動を続けている。2012年、自主レーベル「ダギーレーベル」設立。動物や被災者のための寄付、チャリティーコンサートなど、数々の支援活動も続けている。
●写真/衛藤キヨコ
●ブックデザイン/関 宙明
●構成・編集/水野恵美子
●校正/円水社