完売画家
「絵描きは食えない」を変えたい。
美大は「絵を描いて、それを生活の糧にして、また描く」方法を、
いっさい教えてくれなかった。
これまでに描いた700点の絵画がすべて完売。
経験と冷静な分析で語る、芸術の世界での生き方と仕事の哲学。
号2万円、作品数32点、年収200万円が最初に超えるべき壁
☞画家として生きるための必要条件のひとつ
「買取ギャラリーへのアクセス」の獲得
☞よい画商に巡り合うためには、長期的に結果を出し続ける
☞売れている作家がどのギャラリーと取引しているかを知る
☞個展を開くには、最低20点の作品が必要
- 書籍:定価1650円(本体1500円)
- 電子書籍:定価1320円(本体1200円)
- 2021.08.31発行
もくじ
第1章 職業「画家」
「絵を描いて生活の糧にする方法」を学校は教えてくれない
1か月半かけて作った作品2点の儲けは3万円
新人画家、300万円を持ち逃げされる
絵への失った情熱に火をつけたのは絵だった
日展で最年少の特選を受賞 など
第2章 芸術の世界で生きる
絵を売る場所は3パターンしかない
ギャラリーへのアプローチは百貨店への足掛かり
ギャラリーとのつきあい方
日本の画家の頂点は、1枚3000万円!
号2万円、作品数32点、年収200万円が最初に超えるべき壁 など
第3章 画家の価値を高める
弘法こそ筆を選びまくる
デッサンなくして個性なし
模写は体で理解する鑑賞法
早く多く描けなければ、勝負の舞台に上がれない
「描きたい絵」と「売れる絵」 など
第4章 才能を持続させること、さらなる高みを目指すこと
画家は自分の作品に殺される
小規模チームでスタートアップ
底辺YouTubeでも売り上げは500万円
エントリーモデルを作る
新人発掘コンテスト「ARTIST NEW GATE」を創設 など
はじめに
画家はいまや、絶滅危惧種です。
日本でプロ画家として生計を立てている人は、30人から50人といわれます。
なぜ、これほどまでにプロ画家が少ないのか。
原因は、「業界の構造上の問題」と「刷り込み」とが、原因です。
本書で詳しくふれますが、業界の構造上、絵が売れたとしても画家の取り分は、たったの30パーセント。これでは、いくら頑張って描いても、画家として生計を立てていくのは難しい。僕はそういう業界をなんとか変えたいと模索し、行動に移してきました。
「刷り込み」もあります。
僕の美大生時代、教授でさえ「絵描きは食えない」と言っていました。
聞いている学生は「絵描きは食えない」と思います。
絵を売るギャラリスト(画商)も「絵描きで食っていくのは難しい」と若手画家を脅かします。
世の中も、「絵描きって食えないんだってね」と言い始めます。
その結果、若手画家は「絵で食えないのは自分のせいじゃない」と考え、教授は「プロの画家が育たないのは自分のせいじゃない」と考え、ギャラリストは「絵が売れないのはギャラリストの営業力のせいではない」と考えるようになる悪循環に陥っているように感じます。
「プロでやるのはどんな仕事も難しい」というだけなのに、業界全体が「画家は食えない」を言い訳に使ってきたと感じます。
人は「できない」と思っているうちはできませんが、「できる」と思った瞬間に脳のセッティングが変わって、できるようになる。「絵描きは食っていける」と思えば、前向きになり、できる方向に向かって歩いていくことができます。
プロになるのは難しさもあるけれど、「成功例」もある。それを僕自身が証明し、業界を目指す人を増やしたい、とこれまでやってきました。
言うまでもなく、お金がすべてではありません。ですが、経済的魅力がない業界は新規参入が滞り、人材が育たず廃れていく傾向にあります。それを変えたいのです。
著者略歴
中島健太(なかじま・けんた)
洋画家。1984年東京都生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。
大学3年生のときにプロデビュー。現在までの制作作品は700点を超え、そのすべてが完売。繊細で洗練された高い技術と人間味あふれる作風は、唯一無二と評価されている。
日本最大の公募展「日展」において、20代で二度、特選を授賞。昭和の伝説的作家小磯良平に並ぶ記録として注目を浴びる。「完売画家」としてテレビなどでも取り上げられ、テレビ朝日「徹子の部屋」など、多数のメディアに出演。
Twitter https://twitter.com/oilpainternk
Instagram https://www.instagram.com/painterkenta/
YouTube https://www.youtube.com/channel/UCsxB15PlEegd8RWbVss7F0g
Website https://www.nakajimakenta.com/
編集協力:小川真理子(文道)
装幀:椋本完二郎
撮影:河内 彩
校正:株式会社 文字工房燦光