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ぼくの花森安治
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ぼくの花森安治

ぼくの花森安治

花森安治の叱声が聞こえてきそうな、臨場感あふれるエピソードに満ち溢れている。「暮しの手帖」編集長として、確固とした生活の哲学をもち、社会へ透徹した目を向けた信念の男を、「あの手書き文字」を書き続けた著者が、柔らかな語り口で回想する。

  • 書籍:定価1540円(本体1,400円)
  • 電子書籍:定価1232円(本体1,120円)
  • 2016.07.28発行
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内容

花森安治と大橋鎭子を語れる数少ない人物が、満を持してペンをとりました。
NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」では描ききれなかった「暮しの手帖」の真実。

晩年の花森安治に、足かけ9年、正味8年仕え、大橋鎭子には、亡くなる寸前までのほぼ40年仕えた筆者だからこそ分かる「暮しの手帖」が貫いた生活哲学と、世の中を見る目、まっとうな暮しのありようを、ここに余すことなく明かす。

誌面に独特の手書き文字を書き続けた元副編集長の視点から捉えた書き下ろし

はじめに

ぼくは、「暮しの手帖」に、2009年に定年で退職するまで、約41年間、在籍した。編集長の花森さんには、足かけ9年、正味8年、仕えただけだったが、いつも、心のなかで、花森さんが、いまでも生きていたらなあ、と思い続けている。花森さんと「暮しの手帖」を創刊、長く社長を務め、その後、社主として長生きされた大橋鎭子さんには、だから41 年、仕えたことになる。
退職してからも、時折、社に出向き、いつも顔を出していた。鎭子さんは、決まって、「なにか、おもしろいことはない?」と聞く。「ありますよ」と答えて、勝手に近況報告をさせてもらっていた。鎭子さんの末の妹で、「暮しの手帖」の役員を務めていた大橋芳子さんも、鎭子さんと同じ部屋にいて、いつも、おいしいお茶とお菓子を出してくれた。仕事の上では厳しかったが、ほんとうに、亡くなられるちょっと前まで、鎭子さんも芳子さんも、まるで、息子のように可愛がってくださった。
「暮しの手帖」は、とくに家庭の主婦を対象にした雑誌ではない。戦後すぐのほとんどなにもなかった頃から、さまざまな暮しの工夫やら、衣食住にわたる役に立つ記事を通して、一般庶民の毎日の暮しが少しでもよくなることを目指した、いわば家庭総合誌である。
もちろん「暮しの手帖」といえば商品テストと言われているように、商品テストも重要な記事のひとつである。テストした結果、その商品のよしあしを実名をあげて記事にする。広告をとらないのは当然である。広告をとらないということは、どのような権力からの圧力にも屈しないということである。

1978年、花森さんが亡くなる。その24年後、「暮しの手帖」は、通巻で300号を数えた。ぼくはまだ現役で、「暮しの手帖」別冊の保存版Ⅰとして、「300号記念特別号」の編集に参加した。文字通り、「暮しの
手帖」や花森さんの残した偉業、功績を振り返る別冊である。次いで、保存版Ⅱの「叱る」、保存版Ⅲの「花森安治」と、立て続けに進行を担当し、いまさらながら、花森さんの偉業を確認することになった。
以来、まさか花森さんのことを、単独で書くといったことは、死ぬまでないだろう、と思っていた。
ちょうど昨年の暮れ、NHK連続テレビ小説で、「暮しの手帖」と、鎭子さんをモチーフにした「とと姉ちゃん」が放映されると知った。鎭子さんは生前、「私の人生は、ドラマになる」と言っていた。戦前戦後の激動
の時代を生き、その生涯は波瀾万丈だったと思う。家族のため、「暮しの手帖」のため、ご自分の全人生を捧げられた。ドラマでも映画にでもなる、確かな「女の一生」だった。
テレビにあやかってか、いくつかの出版社で、花森さんの著書を始め、いままで書かれた「暮しの手帖」や花森さん、鎭子さん関連の本が文庫になったり、新しく書かれた本やムックが、数多く、刊行されている。どれも、うまく書かれた本ばかりで、花森さんや鎭子さんの偉業が、さらに際立つことになった。長い出版不況である。なんとか、この不況を打開するような動きになれば、「暮しの手帖」のOBのひとりとして、こんなうれしいことはない。

花森さんのことを書きたい、と考え始めた。あれもこれもと、さまざまな記憶がよみがえってくる。いろんなシーンが脈絡なく出てくる。少ししわがれた低い声だったが、明瞭に花森さんの声が聞こえてくる。たいていは、怒られたときの声だが。

「書いてみたら」とお声をかけてくれたのが、CCCメディアハウスの吉野江里さんである。吉野さんとは、以前勤めておられた出版社のころからの知り合いで、ぼくが書き文字の展覧会を開いたときに、来てくれていた。
花森さんは、偉大な編集者、ジャーナリストである。ぼくのようなものに書けるかどうか。はなはだ心もとないが、とにかく、ぼくの花森さんを綴ってみよう。ぼくの記憶違い、誤解もあるかもしれないが、叱正いただけたらと思う。

「花森さんが、いま生きていたらなあ」と思いつつ。

もくじ

は じめに
「暮しの手帖」に入るまで
暮しの手帖研究室
怒られてばかりだったけれど
花森さんの偉業
花森さん語録
花森さんの「遺言」と信じて
略年譜
あとがき

略歴

二井康雄
(ふたい・やすお)

1946年、大阪生まれ。1969年、(株)暮しの手帖社入社、編集部に所属。主に商品テストや環境問題関連の記事を担当。連載は藤城清治のカラーの影絵、沢木耕太郎の映画時評などを担当。編集した単行本は、藤城清治のカラー影絵の絵本『きん色の窓とピーター』、『ロンドン橋でひろった夢』、『お見舞にきたぞうさん』、沢木耕太郎『世界は「使われなかった人生」であふれてる』、立川談四楼『寿限無のささやき』、阿久悠『凛とした女の子におなりなさい』など。2002年より、本誌の副編集長。2004年より、本誌記事のタイトル、見出し、自社広告などの書き文字を担当。2009年7月、定年退職。2009年12月、別冊暮しの手帖「シネマの手帖」(暮しの手帖社)を共同で編著。2011年12月、『花森安治のデザイン』(暮しの手帖社)の編集協力。現在は、映画ジャーナリストとして、ウェブマガジンなどに、映画のレビューを執筆。また、書き文字ライターとして、映画や雑誌、単行本、演劇チラシ、音楽CDなどのタイトル、見出しなどの書き文字を手がけている。

装釘/文京図案室
装画/佃二葉
書き文字/二井康雄

校閲/円水社
資料提供/暮しの手帖社