僕たちが親より豊かになるのはもう不可能なのか 各国「若者の絶望」の現場を歩く
ウォール・ストリート・ジャーナルの28歳記者が書いた衝撃のレポート。米英から日本、スペイン、中国、ブラジルまで50人以上の「Y世代(1976-2000年生まれ)」を徹底取材。大卒でも就職できない若者たちに「希望」はあるのか?
- 書籍:定価1870円(本体1,700円)
- 電子書籍:定価1496円(本体1,360円)
- 2014.01発行
内容
ウォール・ストリート・ジャーナルの
28歳記者が書いた衝撃のレポート
賃金は安く、雇用は不安定で、税金は高いのに社会保障は減る。
これではあまりに不公平ではないだろうか?
これは「史上もっとも高学歴なのに職につけない世代」の物語である。
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アメリカ、イギリスから日本、スペイン、イタリア、
ギリシャ、アイルランド、中国、ブラジルまで、
50人以上の「Y世代(1976-2000年生まれ)」を徹底取材。
非正規雇用、低賃金、給付減、未婚、借金、親と同居……
これらは世界中の若者たちに共通する「絶望」だ。
大卒でもまともな職につけない彼らに、
果たして今後「希望」は生まれるのか?
世界各国の現状、労働市場の構造的問題、
政府が迫られる赤字削減か経済成長かの選択、
政府予算をどう使うべきかの提言、
そして自力でのし上がろうとするY世代へのメッセージ。
僕たちが自分の親より豊かな生活を手に入れるのは、
本当にもう不可能なのだろうか?
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序 章 豊かな生活(グッドライフ)の終わり
第1章 金融危機後のアメリカの若者たち
第2章 アメリカより深刻なヨーロッパ
第3章 Y世代に不利な労働市場
第4章 すでに頭脳流出は始まっている
第5章 新興国に希望は見つかるか
第6章 赤字削減か経済成長かという選択
第7章 政府予算の正しい使い道
第8章 自分の力で苦境を脱するには
終 章 これからどうする?
プロローグ アメリカンドリーム
アメリカンドリームが幻想ではない時代があった。
一九八一年、ジョゼフとエスフィラという若い夫婦が、人生を賭けて当時のソ連からアメリカへ移住した。ジョゼフは31歳、エスフィラは28歳。英語が話せるわけでもなければ、住む場所が決まっていたわけでもない。ただいい暮らしがしたいという思いがあっただけだ。アメリカは、それが可能な場所だった。
ジョゼフは、現在のウクライナの南西部にある小さな町、チェルニウツィーのとある共同住宅で育った。その建物の地下には、かつて家畜を収容していた部屋が二つある。その二部屋に両親と四人の兄弟姉妹と一緒に暮らしていたのである。この共同住宅は、ほかの二つの共同住宅と中庭や納屋を取り囲むように立っていたが、ちょうど中庭の未舗装の坂道の下にあった。そのため雨が降ると、たった一つしかない窓から泥水が染み込み、地下牢のような部屋が水浸しになるのだった。
両親は仕立て屋をしていたが、生活は厳しく、ジョゼフが近所に金品を借りに行くこともしばしばだった。中学に入る歳になると、ジョゼフは公立の寄宿学校に入れられた。それだけ食い扶持が減るからだ。週末に自宅に戻ってみても、母エステルの出す食事はすべてじゃがいも料理だった。夜中には、父シャロムがミシンを踏む音で何度も目を覚ました。少しでも家計の足しにしようと、闇市で売るコートを仕立てていたのだ。ジョゼフは裕福になりたいと思ったが、何の当てがあるわけでもなかった。
10代後半になると、自分の未来を変えたいという思いはますます強くなった。これまで家族の誰にも縁のなかった大学へ行く決心を固めると、体操選手として鍛え上げた精神力で見事その目標をかなえてみせた。
チェルニウツィー国立大学に入学したジョゼフは、夜は物理学と工学の修士号を取得するため勉学に励み、昼は地元の工場で働いた。そして卒業する前に、同じ大学で数学の上級学位課程に進学していたエスフィラと出会い、結婚した。二人はエスフィラの両親のもとへ転がり込んだ。一九六〇年代のフルシチョフ時代に建設されたエレベーターのない五階建ての建物の最上階にある、寝室が一つだけのアパートである。
だが間もなく娘が生まれて五人所帯となると、アパートは手狭になった。この娘には、じゃがいもだけの食事で集団生活を送るこのような暮らしを味わわせたくない。そう思った二人は、大勢の先人たちにならい、数少ない荷物をまとめ、希望の国アメリカへ旅立った。
二人はアメリカにたどり着くと、ニューヨーク米国移住者協会(NYANA)の手を借り、ニューヨーク州スタテンアイランドにある二世帯住宅の一階を借りた。NYANAは一九四九年、第二次世界大戦中の虐殺を生き延びたユダヤ人のアメリカ定住を支援するために設立された機関だが、その後も世界各国からの難民の救済を手がけていた。ジョゼフやエスフィラの学歴は、アメリカでの就労に有利に働いた。そのおかげで一家は人生を切り開くチャンスに恵まれ、ついにその日暮らしの生活から解放されたのである。
NYANAはまず、エスフィラに英語と簿記の講座を受けさせた。数学の素養を生かし、就職に役立てるためである。そして職に応募する準備が整うと、エスフィラの履歴書を求人のある会社に送付した。すると、マンハッタンのハーレム貯蓄銀行(現在のアップル貯蓄銀行)本店が面接をしてくれることになった。
しかしいざ面接してみると、面接官の質問に答えるのはなかなか難しかった。面接が終わって列車で帰宅する途中、エスフィラは、どんな仕事を任されることになるのかということさえ十分に理解できなかった自分に、歯がゆい思いでいっぱいだった。だが自宅まで戻ってきてみると、ジョゼフが娘を連れ、玄関前でエスフィラの帰りを待っていた。そして妻を見つけると「電話があったよ! 採用だって」と叫んだ。初任給は年間9000ドルだという。エスフィラはうれしさのあまりむせび泣いた。
仕事の内容は会計係だった。月々の住宅ローンの支払いを記帳したり、小切手を預金したり、会計帳簿を更新したりするなど、現在ではほぼコンピュータ化されている仕事である。それからおよそ三〇年後の二〇一〇年、別の会社で同じ仕事をしていたエスフィラは、自分の仕事がインドに外注されることになり解雇されてしまったが、そのころには初任給の一〇倍以上の給料を稼ぐようになっていた。
一方ジョゼフは、仕事を見つけるためにまず、マンハッタンの五番街にあるボザール建築様式のニューヨーク公共図書館に向かった。そしてこの図書館に三日間通いつめ、自分の専門である非破壊試験で使われる用語の英語表記を勉強した。NYANAの社会福祉士であるノーベルという女性に、自分が希望する職種を説明できるようにするためである。ノーベルは80歳代と高齢だったが、心の底から移住者を助けたいと思っている心の温かい優秀な女性だった。ジョゼフはいまだにこの女性のことを懐かしく思い出すという。
ノーベルはジョゼフのために、二つの会社と面接する手はずを整えてくれた。だが最初の会社での面接は、まだ英語に慣れていなかったため面接官とうまく意思疎通を図ることができず、失敗に終わった。
しかし二つ目の会社では幸運に恵まれた。マンハッタン南部にあるルーシャス・ピトキンという会社で面接を受けたところ、エンジニアの職を手に入れることができたのだ。給与は年間1万4000ドルだった。「本当にうれしかった。ほかの人はもっと稼いでいたけど、そんなことはどうでもよかった。仕事が見つかった時は、それだけでうれしかったんだ」とジョゼフは言う。
ジョゼフとエスフィラは二年間節約生活を続けて貯金をし、家を買った。今や二人になった子供を育てるには十分に広い、寝室が三つに庭やプールまでついた二階建ての家である。購入の際には、頭金として1万ドルを支払い、残りはニューヨーク州抵当融資庁で6万4000ドルの三〇年ローンを組んだ。やがて地下室は子供のおもちゃや電子機器でいっぱいになり、庭には真新しいワインレッドのビュイックが来た。
「この国に来てから二年で、家を買い、もう一人子供を生める余裕ができたの。ロシアにいたら、一生かかってもこれほどのお金を稼ぐことはできなかったわ。母は、私の結婚資金を貯めるためにずっとつましい生活をしていたけど、それでも余裕のある暮らしはできなかったんだから」とエスフィラは言う。
それからさらに数年もしないうちに、二人はさらなる賭けに出た。ジョゼフが、空調設備や線路などの金属の強度を試験する小さな会社の経営を始めたのだ。隙間産業だったこともあり、この会社は大成功した。エスフィラもスキルを向上させ、コンピュータアナリストとしてどんどん出世していった。
やがて夫婦は、アメリカ人同様の生活を満喫できるまでになった。それまで住んでいた家を売り払い、環境のよい地区にさらに大きな家を購入した。老後のために、株や債券に投資した。いずれもアメリカ人が習慣的に行っていることであり、テレビで盛んに宣伝していることである。また、子供の将来のために貯金をした。カリブ海の島やヨーロッパに旅行に行った。ほぼ毎日肉や魚を食べた。子供を宿泊キャンプに参加させ、ピアノやダンス、絵画の習い事に行かせた。
こうしてジョゼフとエスフィラは、一〇年も経たないうちに中流階級の仲間入りを果たした。二人は、二人の両親が想像さえできなかったものを子供に与えることができた。アメリカンドリームを実現したのだ。
実は、ジョゼフとエスフィラというのは私の両親である。だが現在、若者が経済的成功を収める可能性は次第に減少しつつある。
時代の変化を暗示するかのように、二人のアメリカ定住を支援したNYANAは、およそ六〇年にわたる活動の末、二〇〇八年に閉鎖された。もはや新規定住者を支援する資金を調達できないというのが、その主な理由だった。
目次
日本の若い読者へ
プロローグ アメリカンドリーム
序章 豊かな生活(グッドライフ)の終わり
史上もっとも高学歴なのに職につけない世代
この三〇年の間に格差が拡大した
金融危機のあとも金融の規制緩和が続く
私たちY世代の責任ではない
第1章 金融危機後のアメリカの若者たち
「あの勉強は何のためだったのか? 」
二〇年で二倍以上になった大学の学費
就職できず、結婚できず、家を買えない
オバマ大統領にも裏切られた若者たち
第2章 アメリカより深刻なヨーロッパ
緊縮政策に全力を注いだ結果
高校生ですら希望を失うスペインの高失業率
アテネ五輪のギリシャの繁栄はどこへ
イギリスでは六人に一人がニート
ヨーロッパが抱える課題は何か
第3章 Y世代に不利な労働市場
非正規雇用に陥りやすくなった原因
イタリア「若者の失業率減少」のまやかし
八年間、無給のインターンとして働く
アメリカやヨーロッパも日本と同じになる
第4章 すでに頭脳流出は始まっている
アイルランドでは国を離れる国民が二倍に
「ここでは未来を描くきっかけさえ見つからない」
史上初めてアメリカが人材の流出元になる
アメリカで教育を受け……留まらずに帰国する
第5章 新興国に希望は見つかるか
祖国に誇りを感じる新興国のY世代
アメリカよりブラジルのほうが高給の職種も
チャンスと見るかリスクと見るか
期待と不満が錯綜する中国のY世代
第6章 赤字削減か経済成長かという選択
政府がY世代の未来など気にかけていない証拠
なぜ緊縮政策へと進もうとするのか
まずは経済を再び軌道に乗せろ
超富裕層が自ら批判する超優遇措置
第7章 政府予算の正しい使い道
増加する教育負担をいかに軽減するか
学資ローン改革とオンライン教育の功罪
大胆な予算〝二分割〟改革案
ドイツの手厚い就職支援プログラム
アメリカですら起業はリスクの高い選択肢に
第8章 自分の力で苦境を脱するには
危機への対処から生まれる「創造性」を生かす
起業にも就職にも「柔軟性」を発揮する
不安定な現実と向き合う「先見性」も必要
終章 これからどうする?
謝辞
原注
略歴
[著者]
リヴァ・フロイモビッチ Riva Froymovich
ジャーナリスト。両親はソ連(現在のウクライナ)出身。より良い生活を求めてアメリカに移住し、アメリカンドリームを成し遂げた。リヴァはニューヨークで育ち、ニューヨーク大学でジャーナリズムの学士号を取得。現在、主にウォール・ストリート・ジャーナル紙やダウ・ジョーンズ・ニューズワイヤに執筆している。TV記者でもあり、フォックス・ビジネスニュース、BBC、スカイTVにも出演。リーマンショックから世界恐慌、ユーロ崩壊、新興国の勃興、各国中央銀行や政府の金融政策を取材してきた。自身、本書のテーマである「Y世代」(1976~2000年生まれ)の一員であり、本書執筆時は28歳。ブリュッセル在住。
[訳者]
山田美明(やまだ・よしあき)
英語・フランス語翻訳家。訳書に『ムーブメント・マーケティング』、『バフェットの株式ポートフォリオを読み解く』、『急騰株はコンビニで探せ』、『史上最大のボロ儲け』(いずれも阪急コミュニケーションズ)、『大戦前夜のベーブ・ルース』(原書房)、『カタリ派』(創元社「知の再発見」双書)、『風水』(創元社アルケミスト双書)などがある。
●ブックデザイン/竹内雄二
●翻訳協力/リベル
●校正/鷗来堂