朝のピアノ
ノーベル賞作家ハン・ガンが「お気に入りの本」と話し、元東方神起のジェジュンがインスタライブで紹介。韓国で波紋のように広まった美学者の日記。
- 書籍:定価2420円(本体2200円)
- 電子書籍:定価2420円(本体2200円)
- 2025/03/28発行
内容
余命を知ったとき、
残りの日々をどう生きるか。
日常がシャッターを下ろすように
中断されると知った時に……
残ったのは「愛」だった。
韓国の哲学アカデミー代表も務めた美学者キム・ジニョンは癌を宣告される。本書は天に召される3日前、意識混濁の状態に陥るまでの日々を記録した散文集だ。死に対する不安を率直に綴りながらも、世界のささやかな美を発見し、周囲の人たちを愛し、人間としての威厳を最後まで保ち続ける記録である。
***
〈1〉
朝のピアノ。ベランダで遠くを眺めながら、ピアノの音に耳を傾ける。わたしはこれから何をもってしてピアノに応(こた)えられるのだろうか。この質問は妥当ではない。ピアノは愛である。ピアノに応えられるもの、それも愛あるのみだ。
〈3〉
いまわたしに必要なものは、病(やまい)に対する免疫力だ。免疫力は精神力。最高の精神力、それは愛である。
〈8〉
突として心がぽきぽき折れる。
秋日の枯れ木のように。
〈10〉
イウォンを会社に送り届けた帰り道、道端に車を停める。煙草をくゆらせながら朝の風景を眺める。駅前の駐車場はがらがらだ。毎日わたしの古びた車を停めていた場所。わたしを日常に送り出し、夜遅くまた戻ってくるのを待ってくれていた場所。その空っぽの場所で、心がまたもぽきっと折れる。
〈11〉
どうすればすべてを守れるだろうか。
自分を守れるだろうか。
〈12〉
昨晩、Cがメールを送ってきた。
「先生はいつもおっしゃっていましたよ。希望のない場所に希望はあるのだと」
〈15〉
今日はジュヨンがアトリエに行く日。外出をためらう彼女の背中を押す。わたしにせっつかれて、とうとう鏡の前に座ったジュヨンの姿を眺める。小さく丸い体つき。いつでも笑みを絶やさず、どんなときも大笑いして重い世の中を明るく一蹴する、笑いの塊のような体。
わたしは笑顔が素敵なこの女性から旅立つことができるのか。
本文紹介
■ 美学者の言葉
2017年7月、がんの宣告を受けた。それまで続いていたす べての日常生活は、シャッターを下ろしたように中断された。 病院での闘病生活が始まり、患者としての日々が始まる。
あれ からちょうど十三ヶ月。この書は、その間に私の体と心、そし て精神を通り過ぎていった小さな出来事の記録である。患者の 生活およびその生が持つ独自性と権威、ようやく出会い、発見 するに至った愛と感謝にまつわる記憶と省察、世間や他者に関 する思惟、あるいはただ憮然と目の前を通り過ぎ、心の周辺を うろつき、近づいては遠ざかる無意味な瞬間の連続がこの記録 の内容である。
ポール・ヴァレリーとロラン・バルトが書きた がっていたある種の本のように、この記録はもっぱら自分だけ のために書かれた私的な文章だ。この文章に本の資格はない。しかし一個体の内面、特にその個性が危機に瀕する状況では、 個人の主観的な内面も客観的な領域と必然的に重なり得るので はないだろうか。
最も私的な記録を公的な媒体である一冊の本 にまとめてみたいという弁明なのかもしれない。だがこの本が、 もしも私と似たような、あるいは他の意味合いで危機にさらさ れた人々にとって、わずかばかりでも省察と慰めの読書になる ならば、それは必ずしも弁明だけに終わらないであろう。
著者
キム・ジニョン
哲学者/美学者 高麗大学ドイツ語独文学科と同大学院を卒業し、ドイツのフライブルク大学大学院(博士課程)留学。フランクフルト学派の批判理論、特にアドルノとベンヤミンの哲学と美学、ロラン・バルトをはじめとするフランス後期構造主義を学ぶ。
小説、写真、音楽領域の美的現象を読み解きながら、資本主義の文化および神話的な捉えられ方を明らかにし、解体しようと試みた。市井の批判精神の不在が、今日の不当な権力を横行させる根本的な原因であると考え、新聞・雑誌にコラムを寄稿。韓国国内の大学で教鞭をとり、哲学アカデミーの代表も務めた。バルト『喪の日記』の韓国語翻訳者としても知られる。
訳者
小笠原藤子
上智大学大学院ドイツ文学専攻「文学修士」。 現在、慶應義塾大学、國學院大學他でドイツ語講師を務める傍ら、 精力的に韓国語出版翻訳に携わる。 訳書にチョン・スンファン『自分にかけたい言葉 ~ありがとう~』(講談社)、 リュ・ハンビン『朝1 分、人生を変える小さな習慣』(文響社)、 イ・ギョンヘ『ある日、僕が死にました』(KADOKAWA)、 ケリー・チェ『富者の思考 お金が人を選んでいる』(CEメディアハウス)など多数。