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だれでも1日200回はウソをつく!
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だれでも1日200回はウソをつく! ウソのつき方・つかれ方 知らなきゃ損する[ウソ大全]

だれでも1日200回はウソをつく!

ウソの男女差、国による違い、偽造品や合成写真、政界のウソ――ウソのあらゆる事例から、ウソの見破り方までを詳述。日常のつきあいや社会の見方が確実に変わります!(←これは本当)

  • 書籍:定価1980円(本体1,800円)
  • 2010.05発行
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内容

「ウソは新鮮で美しいが、真実は古びていて醜い」
――マヌエル・グティエレス・ナヘラ(メキシコの詩人)
誰でも1日に200回は嘘をつくという。
もちろん「ウソは悪いこと」ではあるが、ウソなしでは人間関係を築けないどころか生きていくことさえできないのも事実。
例えばあなただってこんなウソ、ついたことありませんか?
「もう何年もマクドナルド行ってないわ」
「え、どんなメール? 来てないよ」
「私の体重? 49キロくらいかな」
「アンジェリーナ・ジョリーのほうが君よりきれいだなんて思わないな」
「母さん手作りのローストビーフは絶品だね」
「ああっ、イクー!」

本書は心理学者でジャーナリストの著者が、ウソをつくときの微妙な心理状態、子供はいつからウソをつくようになるのか、悲観論者と楽観主義者のウソ、偽造品や動物の擬態について、合成写真や統計のウソ、ウソが当たり前の選挙戦……
などなどウソのあらゆる事例を紹介し、最後に被疑者に対する尋問方法に
絡めて各種のウソ発見法までを説明したもの。
日常の付き合いや社会の見方に役立つだけでなく、読み物としても楽しめます。

まえがき

人間はウソをつく動物だ
誰でも日に200回はウソをつく、と主張する心理学者がおおぜいいる。10分間の会話で2度くらい、と言う人もいる。回数は諸説あるが、ある1つのことに関してはウソ研究者たちの意見も一致している。それは、私たち全員が毎日、自分で思っているより多くのウソをついているということだ。そう言われると大半の人は、そんなはずはないと首を横に振ったり、「私だけは違う!」と言い返す。ウソは偽りで腹黒いと、子供時代から思っているからだ。
かつてピノッキオの話を聞かされたときには、札付きのウソつきがどんなひどい目に遭うか、それを思い知らされたものだ。ピノッキオは鼻が伸びるだけでなく、やけどを負ったり溺死寸前になったりする。またイソップ物語の『オオカミ少年』の話を聞いたときには、生意気な羊飼いが退屈のあまり「助けて! オオカミが出た!」と叫んだためにどういうことになるかを知ったものだった。最初はみんなして少年を助けようと急いで行くが、2度目には少年がどんなに叫んでも誰も助けに来なかったのだ。オオカミが本当に少年の前にいたにもかかわらず。「当然の報いだ」と私たちは子供時代に思ったし、この話からいつのまにか、「一度ウソをついた者は、たとえ本当のことを言っても信用してもらえない」という道徳観を身につけたものだった。
だが、もしウソがなくなったら、私たちの日常生活はいったいどうなるのだろう? 映画『ライアー ライアー』のジム・キャリーのように、不意にいかさまやごまかしができなくなり、ほらが吹けなくなり、ウソがつけなくなったら?
そうなると、パン屋から外に出ようとしたとき、「またのご来店お待ち申し上げております」と言われずに、無愛想な女店員から「もう来なくていいよ」とか「あんたなんかまっぴらごめんだ」と言われるかもしれない。親切だがあまり美人でない店員からは、「その髪の色、お似合いですね」と言われずに、こちらが傷つくような本当のこと、たとえば「あんた、嫌味な赤毛に染めたおかげで、その歪んだ鼻が目立たなくなったわね」と、面と向かって言われるかもしれない。
就職の面接に行けば行ったで、半年間の「語学研修」をスペイン南部で受けたとは言えなくなり、海辺でたった1回パーティーに参加しただけだと認めざるを得なくなるだろう。不愉快な相手に出す手紙の最後には「敬具」ではなく「不敬具」と記すことになるし、母親に対しては「母さん手作りのローストビーフは今もうまくないね」と言ってひどく悲しませることになる。そして愛する人に対しても、「クリスマスに安物の真珠のイヤリングをプレゼントされてとても喜んだけど、あれは演技。本当はiPodが欲しかったんだ」と伝えてがっかりさせることになる。
そのほか、次のようなウソも言えなくなる。「私、もう何年もマクドナルド行ってないわ」「テレビはあまり見ないんだ」「私の体重? 60キロにはならないわよ」「どんなメール? 来てないよ」「彼は仕事仲間、それだけ」「ううん、アンジェリーナ・ジョリーのほうが、きみよりきれいだなんて思わないな」「ぼくは週2回、スポーツをやるんだ」「ああっ、イクー!」
こういったウソをついた覚え、あるだろうか? もしあってもご心配なく。誰だって多少のウソはついているのだから。それに「ウソは、世間で言われているほど悪くない」と確信している学者も増えている。つまり、そうした学者たちはウソつきの味方となり、ウソを擁護しているのである。
ニューヨーク大学の哲学教授デイヴィッド・ナイバーグは、「真実を口にすることが、私たちの社会では過大評価されている」と述べているし、アメリカの精神病医ジョージ・サーバンは、ウソのことを「人間の第二の天性」と呼んでいる。またマサチューセッツ大学の心理学教授ロバート・フェルドマンは、「ウソは一種の社会的能力である」と見なしているし、マンハイム大学(ドイツ)教授で社会心理学者・ウソ研究者のマルク=アンドレ・ラインハルトにいたっては、ウソのことを「社会生活を送るうえできわめて重要」とまで言っている。
ウソは生活につきものであり、人間につきものなのだ。発展の駆動力、そしてサバイバル戦略であり、一種の潤滑剤である。ウソがあるから、よいことがたくさんもたらされるのだ。言いかえれば、ウソがあるからこそ社会は1つにまとまっているのである。

目次

■人間はウソをつく動物だ

第1編 私たちはウソをつく
第1章 誰もがウソをつく理由
【たちの悪いウソと罪のないウソ】ごまかしが始まる瞬間
【付き合い上のウソ】ウソは人生を楽にし、楽しくする
【人生劇場】世間での役割と仮面
【自己欺瞞】自分自身をだます理由
【色眼鏡をかけていなければ】悲観論者はウソが下手だ

第2章 ウソのつき方いろいろ
【ちょっとした違い】女性のウソと男性のウソ
【子供は真実を言わない】子供は容易にウソつきになる
【心をこめたウソ】愛とウソの補完関係
【ウソのない国はない】所変わればウソ変わる

第3章 ウソの歴史総まくり
【偽造】一般人が引っかかるウソ
【慢性ウソ病】ウソが止まらない
【物まね】動物界のウソ

第2編 私たちはいつもウソをつかれている
第4章 あなたのまわりはウソだらけ
【ウソつきと敗者】上手なウソと下手なウソ/作り話+真実=上手なウソ/含みを持たせた言い方と美辞麗句/他者の目線で見る
【真実にしてはあまりに美しい】写真のウソ
【数字は当てにならない】統計のウソ/統計結果は定義しだい/アンケート(世論調査)/平均値と中央値/見かけだけ正確な数字/図表/最上級を使った誇張表現と、ニセの相関関係

第5章 政治のウソ
もちろん政治家もウソつきだ
【まずはすべてを否定する】政治家のごまかし術
【ウソばっかり】選挙戦でのウソ

第6章 ウソを暴け!
【ピノッキオのウソ】ウソをつかれてもわからないのはなぜか?
【アメとムチ】刑事の尋問

■ウソ発見器──自分で実験してみる

参考文献
訳者あとがき

著者

クラウディア・マイヤー(Claudia Mayer)
心理学者、ジャーナリスト。ミュンヘン大学とドイツ・ジャーナリスト学校(ミュンヘン)で学ぶ。1999年以降、テレビ局〈pro sieben〉で一般向け科学番組「ガリレオ」の編集スタッフを務め、マサイ族などを体験取材。また『ネオン』誌、『SZヴィッセン』誌、『南ドイツ新聞』などに寄稿。

訳者

畔上 司(あぜがみ・つかさ)
1951年、長野県生まれ。東京大学経済学部卒。日本航空勤務を経て、現在ドイツ文学・英米文学翻訳家。おもな訳書に『アメリカで大論争!! 若者はホントにバカか』(阪急コミュニケーションズ)、『5000年前の男』『アンネの伝記』(共に文藝春秋)、『ノーベル賞受賞者にきく子どものなぜ? なに?』(主婦の友社)などがある。

●装画/灘本唯人
●装丁/轡田昭彦/坪井朋子
●編集協力/編集室カナール(片桐克博)