新装版 花と草木の歳時記
慌ただしく過ぎる日々だからこそ、
花や草木の息吹に触れ、
四季の訪れを感じる歓び。1981年に執筆された「花と草木の歳時記」の復刊です。
野草を食卓に並べ、草花を部屋に飾るーー
鎌倉に住む著者が描いた日常は、
現代のわたしたちが忘れかけている、自然と寄り添う暮らしの心地よさ大切さを伝えています。
花や草木の息吹に触れ、
四季の訪れを感じる歓び。1981年に執筆された「花と草木の歳時記」の復刊です。
野草を食卓に並べ、草花を部屋に飾るーー
鎌倉に住む著者が描いた日常は、
現代のわたしたちが忘れかけている、自然と寄り添う暮らしの心地よさ大切さを伝えています。
- 書籍:定価1650円(本体1,500円)
- 電子書籍:定価1320円(本体1,200円)
- 2017.02.28発行
目次
春
三月
春の指標―キブシ 私の迎春花―ギンヨウアカシア 小さな花―フデリンドウ 摘み草 三月のメモから
四月
桜の明かり―ヤマザクラ スミレの群生―タチツボスミレ 松の花 四月のメモから
五月
若葉の廂―イロハカエデ マルバウツギと卯の花 朝の浜辺で―ハマヒルガオ 坂道の木―アメリカキササゲ 五月のメモから
夏
六月
『高野聖』とアジサイ 娑羅と菩提樹―ヒメシャラ、ナツツバキ、ボダイジュ 山百合の崖―梅雨どきの花々 六月のメモから
七月
天上の花―ネムノキ 花の音と匂い―ハス 鴨の嘴、猫の舌―海辺の植物 七月のメモから
八月
真昼の花・夕闇の花 夏休みの自由研究 タデ科の花々―ミズヒキ 八月のメモから
秋
九月
花の中を歩くように 「秋の七草」をめぐって 庭の彼岸花―ヒガンバナ 分譲地の植物―ドクウツギ 九月のメモから
花の中を歩くように 「秋の七草」をめぐって 庭の彼岸花―ヒガンバナ 分譲地の植物―ドクウツギ 九月のメモから
十月
匂いのある街―キンモクセイ ブナ林への旅 十月のメモから
十一月
明るい日、暗い日
冬
十二月
虻を伏せたる椿―ヤブツバキ 獅子舞で 十二月のメモから
一月
梅が咲いていく 春の七草 一月のメモから
二月
北の斜面から―スハマソウ 神の手―カンアオイ 二月のメモから
あとがき
索引
あとがき
この歳時記シリーズに、植物で一冊を書くようにすすめられたとき、辞書で「歳時記」をひいてみた。「俳句の季語を分類、解説し、作品例を添えた書物」とあって、これは俳諧歳時記を略して、歳時記といった場合のことである。書きはじめるにあたって、私はまず植物の解説をしたり、詩歌の作品例をあげるのはやめることにした。そうした歳時記は、すでに数多く出版されている。ここでは、私の植物に関する個人的な体験、個人的な感想、個人的な観察をのみ述べたいと思った。しかし、書き終ってみると、随所に解説まがいの記述がみえるのは、私が得たばかりの知識を折にふれ、自分に対して確めなおしておきたいからだった。
各月の終りにつけたメモは、一九七五年から八〇年までの六年間にわたる私のノートをもとにした。発芽や開花の時期が極端に異なった年の例は除くようにした。したがって、メモの中の某月某日は現実のものなのだが、一年を通せば、架空の十二カ月を設定したことになる。
このメモのもとになった六年間には、珍しい植物に出会う旅行も幾度かしたが、ここでは二、三の例外を除けば、私の住んでいる鎌倉市の周辺の、それも私の散歩道の植物を主にとりあげた。自分を取りまく植物の状況を自分の眼に映るように書きとめておきたいと念じていたのだが、成功したのかどうかはわからない。
この原稿を書き終ってすぐ、私は沖縄本島をさらに南下して、八重山群島を旅行した。新年を迎えるというのに、熱帯に近い島々では野生のアサガオ、フヨウ、ヒマワリが咲きノカンナやグンバイヒルガオの花が残っていた。膝の下に見なれていたシダは人間の背丈を超えているし、河口ではヒルギのマングローブが息づまるほど密に林立している。生命が過剰なばかりにあふれている南の島では、植物に対する感想も、また別なものになってしまう。この歳時記はおだやかな温帯の自然に即して書いたものである。と同時に歳時記という形式が温帯の文化だという気がしてならなかった。 一九八一年二月
付記
三十数年前に出版された本書復刊のお知らせをいただいて、久しぶりに自分の著書を読み直してみた。
四十代の私が元気に歩いている。目に映る植物をよく見つめ、目にしたものをより深く知ることを楽しんでいる。まだ若く、健やかだったあの頃の世界は遠くになってしまったが、たしかにそこにあった。一冊をいっ気に読み終えた時には、懐しい世界への旅行記に出会ったような不思議な気持ちにさせられた。
新しい読者の方も豊かな日本の四季をゆっくりと時間をかけて歩いてみて下さい。その道案内になれば幸いです。 甘糟幸子
装丁/名久井直子
装画/福田利之
校閲/円水社