後半生の こころの事典
親の死、配偶者の大病、定年退職、老化の進行、施設への入居・・・後半生のライフイベント(人生を大きく変える出来事)はネガティブなものが多くなります。そのとき、あなたは「心」をどう保つか。これから老年期を迎える人とその家族に向けた、心豊かな後半生を生きるためのハンドブック。
- 書籍:定価1760円(本体1,600円)
- 電子書籍:定価1408円(本体1,280円)
- 2015.04.23発行
内容
退職後の生活のために貯金をする人は大勢いますが、
心理的な準備をする人は多くありません。
しかし、本当に大切なのは、心の準備です。
人生後半のライフイベント(生活を大きく変える出来事)には、
ネガティブなものが多くなります。
そしてその多くは、いつ起こるかはわかりませんが、
いつかあなたの身にも確実に起こることです。
本書では、心理老年学の立場から、
後半生に待ちかまえている代表的なライフイベントが、
私たちの心や行動にどう影響を与えるか、
そして、私たちはそれにどう対処すればよいのかを考えます。
はじめに 私たちはどのようにして「老い」と出会うか
私たちの人生には、誰にでも起こる「ライフイベント(life event)」があります。ライフイベントとは、それによって生活がガラッと変わるような重要な出来事のことで、良いことも悪いことも、中立的なこともあります。
たとえば進学や結婚、子や孫の誕生、自分や配偶者の昇進などは、多くの人が「良い」と感じるライフイベントです。それに対して、自分や家族の病気やケガ、夫婦間のトラブル、失業、親しい人との死別などは、多くの人が「悪い」と感じるライフイベントです。また、子どもの独立、親との同居、自分や配偶者の退職などは、多くの人が「中立的」と感じるライフイベントです。
ライフイベントの多くは、「いつか自分の身にも起こる」ことではありますが、いつ起こるかはわかりません。そして人生の後半、60歳以降に起こるライフイベントには、退職による社会とのつながりの喪失や経済的な不安、親や配偶者の死、病気や要介護状態など、ネガティブなものが多いのです。したがって、いつ頃どのようなライフイベントが起こるかをあらかじめ想定し、対処法を考えておくことが重要です。
若いうちならば、失敗しても人生をやり直すことができます。しかし後半生では、やり直しが難しくなります。ライフイベントへの対処法を間違えると、人生の後半がつらく寂しいものになってしまうのです。
ところで、あなたは自分の人生が、すでに後半生にさしかかったと感じているでしょうか? それとも、まださしかかっていないと感じているでしょうか。本編に入る前に、私たちはどのようなときに「人生の後半にさしかかった」と感じ、「老い」を感じるかを、少し考えてみましょう。
私自身のことを言うと、私は老眼になったときに、老いを感じました。もともと眼鏡は掛けているのですが、近視用の眼鏡ではよく見えなくなって、老眼鏡を使わなければならなくなったときはガックリきました。このように、自分の老いを自覚することを「老性自覚」と呼びます。老性自覚には、「内からの自覚」と「外からの自覚」があり、老眼になった、耳が遠くなった、物覚えが悪くなったというような、自分で感じる心身の衰えは「内からの自覚」です。それに対して、子や孫の成長、定年退職、他者からの老人扱いなどは、「外からの自覚」です。
会社勤めをしている人であれば、出向や転籍などによって、自分の人生が後半に入ったと感じるかもしれません。
50歳ぐらいになると、役員になって60歳を過ぎてもビジネスの世界で活躍する人と、それ以外の人の、どちらに自分が入るかがわかってきます。後者であれば、昇給が頭打ちになったり、出向・転籍させられたりすることが、往々にしてあります。そして、昇給のストップや出向・転籍は、「自己の縮小」と受け止められます。
50代は、仕事の上では多くのことが自分のコントロール下にある年代です。自分のなすべきことがわかっていますし、管理職ならば部下に指示を出す立場ですから、なおさらです。ところが、昇給のストップや出向・転籍は、自分で選ぶことができません。自分のコントロールとはまったく関係なく、他者が一方的に決めたことに従わせられるわけです。そのためプライドが大きく傷つくとともに、自分のコントロールが及ばない状態への逆戻り、自己の縮小をもたらすのです。これが、下り坂にさしかかった自分、すなわち老いの自覚につながります。
このとき、自己の縮小だけにとらわれると、その先にあるのは失意の毎日です。「こんなにがんばってきたのに、会社は冷たい」「俺の人生は、なんだったんだ」と、悶々とした日々を送ることになってしまいます。しかし、この状況を、やがて訪れる定年退職への助走期間、練習問題ととらえたら、どうでしょう?
これまでの仕事を離れたとき、自分の真の能力と言えるのはいったい何か? 新たな価値観を、どこに置くのか? 自分は何が好きで、何が嫌いなのか? 賃金をもらいながら自分を見つめ、これから先の人生の練習、もしくは助走ができるのだと思えば、この事態はむしろ歓迎すべきことではないでしょうか。
家族との関係の変化から、老いを感じることもあるでしょう。子どもがいる人は、子どもの自立が老いを感じるきっかけとなることが、往々にしてあります。進学や就職で子どもが家を離れる、あるいは結婚する。そんなとき親は、親であるという役割アイデンティティから解放されてほっとすると同時に、寂しさも感じます。特に、子育てが生活のなかで大きな比重を占めていた専業主婦などは、空虚さや不安感にとらわれて、「空の巣症候群」と呼ばれる抑鬱状態に陥ってしまうこともあります。
これは、自立する子どもを頼もしく思うその一方で、非常な寂しさを感じるというアンビヴァレントな精神状態ですが、実は今の日本では、このようなライフイベントは減りつつあります。子どもが巣立っていかないのです。
若い人たちが就職できない、結婚できない、といったことがよく話題になりますが、その背景には親がいます。昔ならば、体力的にも経済的にも徐々に子どもが親を上回り、やがて勢力関係が逆転して親が子どもに保護されるようになり、親は老いていきました。ところが今は、子どもが外に出て行って勢力を拡大しない。居心地のいい家にズルズルと居て、いつまでたっても親を乗り越えてくれないのです。
親としても、子どもを手放す寂しさを味わいたくない、という気持ちが一方ではあるために、巣立って行かない子どもをとがめません。昔の親子関係と違い、今は〝友だち親子〞ですから、子どもとの友だち関係が続けば、それはそれで親もいいのです。たとえば娘が30〜40歳で、母親が60〜70歳でも、いっしょにショッピングに行ったり旅行に行ったりすれば、楽しいわけです。
特に、子どもが金銭的に親から自立できない場合などは、絆がいっそう強くなって、親も子もなんとなく関係性を曖昧にしたまま、ズルズルと同居を続けてしまいます。しかし、身体的には親は徐々に弱り、やがて介護が必要になります。親が70歳、80歳になるまでこのような関係が続けば、互いに依存し合うことになり、さまざまな問題が表面化します。中でも、未婚の中年の息子と高齢の母親との間には、若いカップルのDV(家庭内暴力)と同じように、DVが起こりやすいことが知られています。息子と母は男女でもあり、親密でもあるからです。
そのような老年期の問題の根が、子どもの巣立ちの時期にあります。子どもの自立によって覚える寂しさは、老いへの第一歩ではありますが、同時に後半生を幸せに生きるための一歩でもあるのです。
老いを感じたとき、私たちは落胆したり、苦々しく思ったり、目を背けようとしたりします。気にしないふりをしたり、克服しようとしたりもします。老いとはネガティブなものであり、できれば避けたいものだと思っているからです。
けれども、老いは必ずしも喪失ばかりのネガティブなものではありません。どう捉えるかによって、また、補う方法を知っているかどうかによって、老いの中身は変わります。喪失を獲得に変え、新たな世界を切り開くことができるのです。
では、どうすれば喪失を獲得に変えることができるのでしょうか? 自分の将来を見据えて、起こるであろうライフイベントに、物理的に備えるだけでなく、心理的にも備えておくことです。退職後の生活のために貯金をする人は大勢いますが、退職後の生活のために心理的な準備をする人は、多くありません。しかし、本当に大切なのは、心の準備です。突然起こった出来事にうまく対処できる人は多くありませんが、起こるであろうライフイベントをあらかじめ想定し、考えをめぐらせておけば、あわてずに対処することができるからです。
本書では、心理老年学の立場から、人生の後半に待ちかまえている代表的なライフイベントが、私たちの心や行動にどのような影響を与えるかを見、その上で、私たちはそれにどう対処すればよいかを考えます。心をどう変え、どう保てばよいか? 人生の最期まで幸せに生きるには、どうすればよいか? それが60代からのテーマであり、本書のテーマでもあります。
目次
はじめに 私たちはどのようにして「老い」と出会うか
第1章 60代――自分の「本義」を見つけ、実践する年代
1 ライフイベント「定年退職」
社会的アイデンティティを失う、未来がなくなる
・期限が区切られると、「そこで終わる」と思ってしまう。
でも、「その先にまだある」となると、人は変わる。
・退職はアイデンティティの喪失。
会社に未練があると、新たなアイデンティティを持てない。
・定年退職はゴールではない。
人生を複合的に生きるためのスタート地点。
平日と週末、オンとオフの区別がなくなる
・スケジュールがないのは、解放ではなく束縛。
大事なのは日常を固めること。
・人は空虚な時間に耐えられない。
いかに空虚時間を減らし、充実時間を増やすか。
・生活スタイルそのものを変えることも可能。
悪い要因を抑制し、良い要因を促進する。
収入が激減する、不安が募る
・リタイア後も、現実社会の影響は受ける。
不安定な社会で老後を送ることを覚悟する。
妻に依存する、夫婦がすれ違う
・夫は妻と一緒にいたいと言うが、妻は一人でいたいと言う。
退職後に迎える夫と妻の自立。
・退職後、家に居場所がない。
居場所とは、自分の存在意義を認められた場所。
2 ライフイベント「継続雇用、再就職」
同じ職場で働き続ける
・部下と職位が逆転する、賃金が半減する。
満足度をどう上げるか。
・60~65歳は、まさにターミナル。
退職後の準備をする練習期間と考える。
違う職場で働く、これまでとは違う仕事をする
・定年後は組織コミットメントではなく、キャリアコミットメント。
キャリアをどう生かすか。
・それまでと同じレベルの仕事はない。
お金に代わる社会的評価を得る。
3 ライフイベント「地域活動への参加」
地域に居場所を見つける
・人は人にプレッシャーを感じる。
仮面を被らなければならないから、人に会うのが面倒。
・慣れてきたら受益側から運営側に回る。
自分だけの生きがいを追求しても、普遍的価値にはならない。
・地域貢献とは、関節互恵。
一般信頼が高まれば、安心して住める町になる。
趣味の仲間を見つける。学生時代の交遊を復活させる
・体験を共有し喜びを分かち合えば、楽しさが倍増。
趣味が生きがいになることもある。
・同世代の仲間は「心の居場所」。
友人との再会がワンダー・フルな時間を作る。
4 ライフイベント「親の死」
親の老いに寄り添う
・老いた心身を理解するのは難しい。
自分の老いを自覚することで、親の老いに共感する。
・「家族に介護された方が幸せ」という家族介護の神話に潜む、
ケアとコントロールの落とし穴。
・親が終末期を迎えたとき、大事なのは敬意。
敬意をもって、親の尊厳を読み取る。
・死別によって、絆が断ち切られるわけではない。
親が生きたことの意味を再構成し、絆を持ち続ける。
自分の終末期を考える
・本当の終活とは、自分なりの死生観を持つこと。
死生観を持って、後半生を生きる。
5 ライフイベント「配偶者または自分の大病」
配偶者が大病をした
・夫婦仲がいい人は、リハビリがうまくいく。
病気への理解と支え合いが大事。
自分が大病をした
・大病も悪いことばかりではない。
「病気になってよかった」と、認知を変えれば行動が変わる。
・否応なく自分の死と向き合うのが大病。
その後の生き方が変わることもある。
6 ライフイベント「老化の進行」
記憶力の衰えや身体能力の低下を自覚する
・人の名前が出ないのも、しょっちゅう物を失くすのも、
脳の老化が原因。どうやって補償するか。
・できると思ったことができずにケガをしたり、やりすぎたりする。
自己イメージと実像の乖離を知る。
老化への抵抗(アンチエイジング)
・主観年齢は暦年齢よりも10歳若い。
現代人は主観年齢に暦年齢を合わせようとする。
・アンチエイジングの行き着く先は、
老いの拒否であることを認識する。
第2章 70代――他者のサポートを受け入れ、世代継承性を考える年代
1 ライフイベント「仕事からの引退」
社会的生活圏が縮小する
・老年期には社会的離脱をよしとするか、活動をよしとするか、
二者択一というわけではない。
・商売や農業を引退する。親族に受け継がせるのは難しい。
ならばどうするか?
アイデンティティを再構築する
・社会的アイデンティティを離れ、
青年期に抱いた自分本来のアイデンティティに立ち返る。
2 ライフイベント「心身の質的変化」
自分が老人になったことを自覚する
・目や耳や歯が悪くなる。
困ったとは思っても、老いを直視するわけではない。
・車の運転をするなと言われた。
自分では大丈夫だと思っているのに、理由がわからない。
・知的好奇心が高まると、行動のレパートリーが増える。
すると生活習慣が変わる。
老いに適応する
・健康長寿は幻想?
できたことができなくなったとき、どうするかが重要。
・外界と自分が合わないとき。一次的コントロールで外界を変えるか、
二次的コントロールで自分を変えるか。
3 ライフイベント「地域活動からの引退」
地域活動やボランティア活動から引退する
・他者をサポートする立場からサポートされる立場に変わると、
幸福感が低下する。
・孤立すると人は反社会的になる。
それが高じると、ゴミ屋敷になってしまうことも!?
友人に会うのが面倒になる
・友だち同士で集まっても楽しくない。
どうして仲が悪くなってしまったのか?
4 ライフイベント「孫への援助」
子や孫に金銭的援助をする
・孫に「教育資金」を贈与すると、家族の心理的な境界線が変わる。
それはよいことなのか?
世代継承性を考える
・孫世代は不況の時代を生きる親の影響を受けている。
世代によって価値観は大きく異なる。
・子や孫に何を継承するか。
大事なのは、生き方を見せること。
・世代間で継承するものには、個別世代性と一般世代性がある。
個別世代性だけで終わってはつまらない。
第3章 80代――喪失を乗り越え、新たな未来展望を持つ年代
1 ライフイベント「自分または配偶者が要介護認定される、認知症になる」
要介護になる、認知症を発症する
・要介護や認知症になっても、
未来展望をポジティブにすることはできる。
・デイサービスやホームヘルプサービスを受けたくないのは、
いったいなぜなのか?
患者の会、家族の会に入る
・配偶者が要介護や認知症になった場合。
悲惨な事態を招かないために、介護を社会化する。
2 ライフイベント「施設に入居する、子どもと同居する」
施設に入居する
・親を施設に入れるときは、入れるまでが葛藤。
自分が入るときは、入ってからが葛藤。
子どもと同居する
・一世帯の中に二つの家族が同居する。
物理的境界線と心理的境界線を意識する。
3 ライフイベント「友人・知人の死」
充実ネットワークの喪失
・友人の死で充実ネットワークを喪失しても、
内的世界を深化させることはできる。
若い頃のアイドルやスターの死
・青春時代の自由な未来展望と決別して、
老年期を生きるための未来展望を手に入れる。
4 ライフイベント「配偶者の死」
死別による喪失感と、死の受容
・配偶者が危篤状態になったとき。
人は不安と混乱のなかで、喪失への心の準備をする。
・悲しみは、止めてはいけない。こだわりすぎてもいけない。
絆を持ち続けることが重要。
宗教やあの世との親和性が高まる
・周囲の人が次々に亡くなっていく。
心のなかに「あの世」を持つと楽になる。
第4章 90代~――知的好奇心を持ち続け、内在的生活圏を深める年代
1 ライフイベント「歩けなくなる」
思い通りに体を動かせなくなる
・車椅子になっても人生に愛着があれば大丈夫。
問題は、未練を断ち切ったとき。
・食べることは生きることの本質にかかわっている。
年をとっても食べる意欲を持ち続ける。
・目が見えないと情報量が少なくなる。
耳が聞こえないと孤独になる。
2 ライフイベント「金銭管理を他者に委ねる」
通帳や財布を他者に預ける
・金銭は、社会的勢力の象徴。
金銭を他者に委ねると、自己効力感や自尊心が損なわれる。
3 ライフイベント「寝たり起きたりの毎日になる」
想い出に生きる
・子どもの頃のことや親のことをしきりに思い出す。
見えない人たちとのつながりを感じる。
内在的生活圏を深化させる
・いくつになっても、どんな状態でも、
知的好奇心を持ち続ければ内在的生活圏は深化する。
あとがき
参考文献
略歴
佐藤 眞一(さとう・しんいち)
1956年東京生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科臨床死生学・老年行動学研究分野教授、博士(医学)。
早稲田大学大学院文学研究科心理学専攻博士後期課程を終え、東京都老人総合研究所研究員、ドイツ連邦共和国マックスブランク人口学研究所上級客員研究員、明治学院大学心理学部教授等を経て現職。前日本老年行動科学会会長。日本応用老年学会理事、日本認知症ケア学会代議員、日本老年精神医学会編集参与、日本老年社会科学会評議員等を務める。
主な著書に『ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす』(光文社新書)、『認知症「不可解な行動」には理由がある』(ソフトバンク新書)、共著に『老いのこころ 加齢と成熟の発達心理学』(有斐閣)、『老いと心のケア 老年行動科学入門』(ミネルヴァ書房)、『エイジング心理学 老いについての理解と支援』(北大路書房)などがある。
●企画・編集/蔭山敬吾(グレイスランド)
●構成・文/佐々木とく子
●カバーイラスト/谷山彩子
●装丁・本文デザイン/轡田昭彦+坪井朋子