もうすぐ絶滅するという紙の書物について

もうすぐ絶滅するという紙の書物について
ウンベルト・エーコ/ジャン=クロード・カリエール 共著

工藤妙子 著

  • 書籍:定価3080円(本体2,800円)
  • 電子書籍:定価2464円(本体2,240円)
  • 四六判変型・上製/472ページ
  • ISBN978-4-484-10113-2 C0098
  • 2010.12発行

紙の本は電子書籍に駆逐されてしまうのか? 書物の歴史が直面している大きな転機について、博覧強記の老練愛書家が縦横無尽に語り合う。

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内容

ウンベルト・エーコ/ジャン=クロード・カリエール
老練愛書家2人による書物をめぐる対話。
「電子書籍元年」といわれる今こそ読んでおきたい1冊!

インターネットが隆盛を極める今日、「紙の書物に未来はあるのか?」との問いに、「ある」と答えて始まる対談形式の文化論。
東西の歴史を振り返りつつ、物体・物質としての書物、人類の遺産としての書物、収集対象としての書物などさまざまな角度から「書物とその未来について」、老練な愛書家2人が徹底的に語り合う。
博覧強記はとどまるところを知らず、文学、芸術、宗教、歴史と、またヨーロッパから中東、インド、中国、南米へとさまざまな時空を駆けめぐる。

この対談は、マーシャル・マクルーハンが「グーテンベルクの銀河系」と呼んだ書物の宇宙への温かい賛辞であり、本を読み愛玩するすべての人々を魅了するでしょう。すでに電子書籍を愛用している人だって本書を読んで紙の本が恋しくならないともかぎりません。(ジャン=フィリップ・ド・トナック 「序文」より)

「序文」(ジャン=フィリップ・ド・トナック)

「これがあれを滅ぼすだろう。書物が建物を」
ヴィクトル・ユゴーのこの名言は、『ノートルダム・ド・パリ』に出てくるパリのノートルダム大聖堂の司教補佐クロード・フロロの言葉です。おそらく建築物は死にませんが、変貌するある文化の象徴という役割を失うでしょう。「それに比べて、思想が書物になるのには、わずかの紙とわずかのインクとペンが一本あれば充分だということを思えば、人間の知性が建築を捨てて印刷術を選んだからといって、どうして驚くことがあるだろう」。我らが「石の聖書」すなわち大聖堂は、なくなりこそしませんでしたが、ユゴーの言う「知性の蟻塚」、「あらゆる想像力が、金色の蜜蜂さながらに、蜜を持ちよる蜂の巣」、つまり、まず手書きの写本、次いで印刷された書物が現れたことで、中世末期に突然、はなはだしく零落しました。それと同じように、電子書籍が紙の本に代わって幅を利かせるようになったとしても、我々が紙の本を家から一掃し、紙の本を読まなくなる理由はほとんどありません。ですから「電子書籍」が書物を滅ぼすことはないでしょう。グーテンベルクが印刷術という素晴らしいものを発明したのちも、ひきつづきコデックス[紀元二世紀頃に作られた冊子状写本]が用いられ、パピルスの巻物やウォルミナ[古代ローマの巻子状写本]が売り買いされたように。様々な実用と習慣が並存し、選択肢が広がるのは願ってもないことです。映画は絵画を滅ぼしませんでした。テレビは映画を滅ぼしませんでした。ですから、画面ひとつで世界じゅうの電子文書にアクセスできるタブレット型のブックリーダーやその他の周辺機器の登場だって大歓迎なのです。
むしろ大事なのは、画面上で本を読むようになることで、これまで本のページを繰りながら得てきたものが、どんなふうに変わってゆくのかを知ることです。電子書籍という小さな新しい本を手にすることで、我々は何を手に入れ、またそもそも何を失うのでしょう。たとえば時代遅れの習慣でしょうか。書物が纏っている独特の雰囲気、それゆえに文明が書物を祭壇に掲げてきた神聖な雰囲気もそうかもしれません。ハイパーテキストという仕組みは、著者と読者のあいだ特有の水入らずの感じを必然的に損うでしょう。何かを「囲い込む」ものという本のイメージは失われ、それによってある種の読み方は間違いなく姿を消すでしょう。ロジェ・シャルティエは、コレージュ・ド・フランスの開講講義で、「言葉と物質を結んでいた古い絆をデジタル革命が断ち切ったことで、我々は、〈書かれたもの(エクリ)〉に対して持っていた態度や考えを抜本的に見直さなければならなくなりました」とはっきり述べています。すべてを根底から覆すような混乱が訪れるのです。しかし我々はそこから立ち直ってゆくでしょう。
ジャン=クロード・カリエールとウンベルト・エーコの対話の争点は、電子書籍を大々的に(もしくはささやかに)導入することで、どんな変化や混乱が訪れるかを予測することではありません。本を愛し、古書や稀覯書を収集し、インキュナビュラ[グーテンベルク聖書が印刷された十五世紀半ばから十五世紀末までの活字印刷物]を追い求めかつ探究してきた経験から、二人はむしろ本を、たとえば車輪のような、それにまさるものをもはや想像できないほど完成された発明品だと考えています。文明によって発明されて以来、車輪の仕事はうんざりするくらい同じことの繰り返しです。その起源を初期のコデックスに見るとしても、もっと古いパピルスの巻物まで遡るとしても、本という道具は、姿かたちはいくらか変わりましたが、頑ななまでにおのれ自身でありつづけてきました。つまり両氏にとって本というのは、近々訪れるといわれ、時に恐れられてもいる技術革命によってさえその運行を止めることのできない、「知と想像の車輪」のようなものなのです。こういうほっとするような話がまとまったところで、本題に入る準備がいよいよ整いました。

目次

本は死なない
耐久メディアほどはかないものはない
鶏が道を横切らなくなるのには一世紀かかった
ワーテルローの戦いの参戦者全員の名前を列挙すること
落選者たちの復活戦
今日出版される本はいずれもポスト・インキュナビュラである
是が非でも私たちのもとに届くことを望んだ書物たち
過去についての我々の知識は、馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している
何によっても止められない自己顕示
珍説愚説礼讃
インターネット、あるいは「記憶抹殺刑」の不可能性
炎による検閲
我々が読まなかったすべての本
祭壇上のミサ典書、「地獄」にかくまわれた非公開本
死んだあと蔵書をどうするか

訳者あとがき 本の世界はあたたかい
主要著作一覧

著者

ジャン=クロード・カリエール(Jean-Claude Carrere)
1931年生まれ。フランスの作家、劇作家、脚本家。ルイス・ブニュエル作品の脚本家として知られ、手がけた脚本は80余、主な脚本に『ブリキの太鼓』『存在の耐えられない軽さ』があり、大島渚監督作品『マックス、モン・アムール』の脚本も担当している。演出家ピーター・ブルックの台本執筆にも30年にわたって携わり、自身の著作も約30点を数える。邦訳された主な著作に『珍説愚説辞典』(国書刊行会)、『万国奇人博覧館』(筑摩書房)、『教えて!! Mr.アインシュタイン』(紀伊國屋書店)などがある。

ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)
1932年生まれ。イタリアの中世学者、記号学者、哲学者、文芸批評家、小説家。1980年に発表した『薔薇の名前』(東京創元社)がベストセラーとなり、広く読まれるようになる。ボローニャ大学人文科学部長を務め、多数の著書がある。邦訳された主な著作に、小説では『フーコーの振り子』『前日島』(共に文藝春秋)、『バウドリーノ』(岩波書店)があり、試論的エッセイとしては『開かれた作品』(青土社)、『論文作法──調査・研究・執筆の技術と手順』(而立書房)、『美の歴史』『醜の歴史』(共に東洋書林)などがある。

ジャン=フィリップ・ド・トナック(Jean-Philippe de Tonnac)(進行役)
1958年生まれ。フランスのエッセイスト、ジャーナリスト。本書では対談のコーディネーターを務めた。詩人ルネ・ドーマルの評伝の著者で、科学、文化、宗教に関する対談のコーディネートを多数行なっている。ロジェ=ポル・ドロワとの共著『ギリシア・ローマの奇人たち──風変わりな哲学入門』(紀伊國屋書店)が邦訳されている。

訳者

工藤妙子(くどう・たえこ)
1974年生まれ。慶應義塾大学文学部文学科仏文学専攻卒業。仏文翻訳家。主な訳書:クロード・シュロー『クローンの国のアリス』(青土社)、サルヴァトーレ・ウォーカー『闇のアンティーク』(扶桑社)、ドゥニ・ロベール『愛撫の手帖』、ローラン・グラフ『ハッピー・デイズ』(角川書店)など。 好きなもの:文学、文鳥、文楽。趣味は飲食文化研究とジョギング。

●編集協力/編集室カナール(片桐克博)
●ブックデザイン/松田行正+日向麻梨子

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